2026-10-10 — Thinking-B(戦略思考・コミュニケーション)

2026-10-10(土)Thinking-B相手の次の一手を読み、自分の一手で損得を組み替える:値上げの2つの損益分岐/Teece の PFI と公開の約束/参入ゲームと柔道戦略Lv4 経営(Q1 Lv3・Q3 Lv5)

今日のフォーカス

相手の次の一手を数字で先に読み、自分の一手で相手の損得を組み替えてから、相手ごとの順番で開示する。

値上げを「今月の売上」でなく「顧客全体の生涯粗利」で測り、下位プランという逃げ道で解約を移行に変える力。Teece の PFI(イノベーションから利益を得る条件)で、自社ランタイムを公開するか囲うかを補完資産と標準化の確率で決め、ライセンスを後から変えない約束を最初にする力。参入ゲームの後ろ向き推論と柔道戦略で、大手の「値下げで潰す」が信じられるかを測り、取締役会・現地パートナー・社内に別々の順で伝える力。9/26(Rumelt・BATNA/MESO・7 Powers)、10/3(Minto・core/context・残余財産優先権)とは重ならない。

Lv1 担当者Lv2 リーダーQ1: Lv3 管理職Q2: Lv4 経営(current_level)Q3: Lv5 創業者・取締役会

顧客資産と2つの損益分岐

社数 × 月粗利 ÷ 月次解約率。値上げは「一度に失う分」と「その後の解約率」の両方を動かす。

Teece の PFI(1986)

模倣のしにくさ・支配的な設計・補完資産。模倣されやすい技術では、利益は補完資産の持ち主が取る。

参入ゲームと柔道経済学

脅しは実行すると相手が得をするときだけ本気。小さく入れば、大手が戦うコストが得るものを上回る(Gelman & Salop 1983)。

数値の出所ラベル:仮定 架空値 / 導出 Python 標準ライブラリで計算(2026-10-10)/ 文献は書誌のみ(原文未確認のものは明記)。

Q1★★★☆☆ 基本「月額9,800円を12,800円に」——値上げを今月の売上でなく、顧客全体の生涯粗利で測り、下位プランという逃げ道を作る
シナリオ — 中小企業向けクラウド会計(契約8,000社) / 事業部長 長谷川さん(Lv3 管理職)

長谷川さんの事業部は、月額 9,800円 のプランを 12,800円(+30.6%) に上げたい。インボイス制度と電子帳簿保存法への対応で開発費が増え、5年間価格を据え置いてきたためだ。仮定

項目値
契約社数8,000社(小規模1〜5人 5,000社/中規模 2,500社/大規模 500社)
1社あたり変動費月1,960円(現行価格の20%)
現在の月次解約率1.5%
アンケート「値上げしたら解約する」小規模25%/中規模10%/大規模3%
利用規約「当社は本規約を変更できる」という変更条項あり

企画課長は「アンケートの解約を全部見込んでも、月の粗利は12%増えます。一律で上げましょう」と言っている。

問い
  1. 一度だけ解約が起きる場合の損益分岐と、値上げ後に月次解約率が上がり続ける場合の損益分岐を計算せよ。「月の粗利が12%増える」がなぜ判断として足りないのか説明せよ
  2. 一律値上げ(A)と、小規模向けに機能を絞った9,800円の「ライト」を残す案(C)を、アンケートどおりの場合と半分だけ実現する場合で比べよ。C の共食いも数字に入れること
  3. 顧客への通知文の骨子(いつ・何を・どの順で)と、利用規約の変更として気をつけることを書け。採らなかった案と理由を残せ
値上げの議論は「今月いくら増えるか」で決まりやすい。だがサブスクの価値は顧客がいる期間の合計で、値上げはその期間(解約率)も動かす。月の粗利が増えても、解約率が少し上がるだけで顧客全体の生涯粗利(顧客資産)は減る。もう1つは、アンケートの「解約する」は言ったことと実際の行動の差が大きいこと。Lv3 の事業部長に求められるのは、価格を「上げるか」ではなく、どの顧客にどの逃げ道を用意して、何を測ってから広げるかを決めること。
1. 粗利で比べる7,840円 → 10,840円価格の比でなく粗利の比2. 分岐を2つに一度の解約 27.7%その後の解約率2.07%/月3. 最悪で比べるアンケートどおり+解約率1.85%で顧客資産は?4. 逃げ道を作るライト9,800円で解約を移行に変える共食いも数える5. 測ってから広げる新規で2か月実測既存は90日前通知止める条件を先に罠:上げ幅30.6%を「30%失ってよい」と読む/月の粗利だけ見る/アンケートを鵜呑みにする、または無視する
判断の軸:最悪の前提(アンケートどおり+解約率上昇)でも顧客資産が減らない案はどれか。減るなら、何を測ってから広げるか。
模範解答の核心
一度だけの解約なら 27.7% まで失っても月の粗利は同じ。だが値上げ後の月次解約率が 2.07%(現在1.5%)を超えると、解約ゼロでも顧客資産は減る。アンケートどおり18.9%が解約すると、許される解約率は 1.68% まで下がる。一律値上げ(A)は月の粗利+12.1%でも、解約率1.85%で顧客資産が 41.8億 → 38.0億円(−9.1%)。ライトを残す C は同条件で 41.9億円、共食い30%でも 41.2億円。C を新規の申込みから始め、既存は6か月後に移す。

① 損益分岐を2つに分ける 導出

  • 1社の月粗利:9,800 − 1,960 = 7,840円 → 12,800 − 1,960 = 10,840円
  • 一度だけの解約:7,840 ÷ 10,840 = 72.3% が残れば同じ → 27.7% まで(上げ幅30.6%ではない)
  • 顧客資産:8,000 × 7,840 ÷ 1.5% = 41.8億円
  • 解約率の分岐(一度の解約ゼロ):10,840 ÷ (7,840 ÷ 1.5%) = 2.07%/月。アンケートどおり1,515社が抜けた後は 1.68%/月、半分なら 1.88%/月
27.7%
一度に失ってよい割合
2.07%
解約ゼロでも超えてはいけない月次解約率
1.68%
アンケートどおり解約した後の許容解約率

② A と C の比較 導出

値上げ後の満額プランの解約率1.85%、ライト1.5%、解約予定の小規模の6割がライトに移ると置く 仮定

案アンケートの実現解約社数月の粗利顧客資産
A 一律値上げそのまま1,515+12.1%38.0億(−9.1%)
A 一律値上げ半分758+25.2%42.4億(+1.5%)
C ライトを残すそのまま765+21.5%41.9億
C半分383+29.9%44.4億
C+共食い30%そのまま765+16.1%41.2億(−1.4%)
C+共食い30%半分383+23.6%43.6億
顧客資産(億円)。破線=現在41.8億円。横軸は30億円からA アンケートどおり38.0A 半分42.4C アンケートどおり41.9C 半分44.4C+共食い どおり41.2C+共食い 半分43.6

A は前提が悪い側に振れると顧客資産を4億円近く失う。C は最悪でも −1.4% に収まる。数字が不確かなときは、幅が狭い方を選ぶ。共食いを抑えるため、ライトは仕訳入力と決算書出力に絞り、銀行連携の自動取込と複数ユーザーを外す。

③ 進め方と通知

  1. 新規の申込みから先に新価格(2か月)。申込み率とライトの選択率を実測する(アンケートではなく行動を測る)
  2. 既存顧客には90日前に通知、移行は6か月後。年払いを旧価格で1回更新できる選択肢を付ける
  3. 止める条件:移行後2〜4か月の満額プランの解約率が 1.9%/月 を3か月続けて超えたら、小規模向けの移行を止める
通知文の骨子(この順)
① 何が変わるか:「2027年4月1日から、スタンダードプランを月額12,800円に改定します」
② なぜか:「インボイス制度・電子帳簿保存法への対応と銀行連携の拡大に開発を続けるため。5年間据え置いてきました」
③ あなたの選択肢:そのまま12,800円/機能を絞ったライト9,800円/旧価格での年払い更新(2027年3月末まで)
④ 何が変わらないか:データはそのまま、プラン変更はいつでも、解約に違約金なし
⑤ 問い合わせ先

利用規約の変更:民法548条の4(定型約款の変更)は、相手方の一般の利益に合う変更か、変更の必要性・内容の相当性・変更条項の有無などに照らして合理的な変更であることを求め、効力発生日を定めてインターネット等で周知することを求める。値上げは顧客の利益に合う変更ではないので、合理性を説明できる材料(据え置き期間・選択肢・十分な予告期間)を揃える。中小企業向け SaaS の規約が定型約款に当たるかは法務・弁護士に確認する前提(条文は記憶による要旨、原文未確認)。

採らなかった案(トレードオフ)

  • A 一律値上げ:単純で、アンケートが外れれば最も儲かる(+25.2%)。しかし最悪側で顧客資産 −9.1%。戻すと「一度上げて戻した」傷が残る
  • 既存は永久に旧価格:解約はほぼ出ないが、既存8,000社の粗利が増えず開発費に間に合わない。同じ機能に2つの価格が残る
  • 上げ幅を半分(11,300円):解約は減るが、2〜3年後に再値上げが要り、通知が2回になる

前提が変わったら:新規の2か月で新価格の申込み率が旧価格の9割以上なら、アンケートは過大と判断し既存の移行を前倒し。7割を切るなら、価格でなく「何に払うのか」が伝わっていない可能性が高く、上げ幅を見直す。

実践への応用

  • 値上げ・値下げ・無料枠の変更は、すべて「一度に失う顧客」と「その後の解約率」の2つの損益分岐で見る
  • 「アンケートでは〜%が解約すると言っている」が出たら、行動で測る小さな実験(新規だけ・一地域だけ)を先に提案する
  • 日本の顧客には「長く据え置いてきた」理由と選択肢を先に出すと受け入れられやすい。米国の SaaS でも下位プランや年払いを同時に出す進め方が知られている(個別事例の数値は未確認)
自己評価(解答後に記入)
  • 損益分岐を「一度の解約」と「その後の解約率」の2つに分けて出したか
  • 最悪の前提で A と C を比べ、幅の狭い方を選んだか
  • 通知文に選択肢と「変わらないこと」を入れ、止める条件を先に決めたか
自分の考え・解答メモ:
気づき・メモ:

Q2★★★★☆ 標準「自社のランタイムを公開するか、囲うか」——Teece の PFI で、標準を取る確率と補完資産から判断し、ライセンスを後から変えない約束を最初にする
シナリオ — 産業用ロボット向けソフトウェア企業(従業員400人、売上60億円、営業利益4億円) / CTO 藤井さん(Lv4 経営)

藤井さんの会社は、工場の複数メーカーのロボットをまとめて動かすエッジのランタイムを作っている。現在1万2,000台で動き、1台あたり年3万円のライセンス料(年3.6億円)を得ている。海外の大手が「12か月後に同種の仕組みを出す」と発表した。対象市場は5年後に約40万台。仮定

案中身標準になる確率標準になった場合(5年目売上)ならなかった場合
A 囲うライセンス販売を続ける15%12万台×3万円=36億円8,000台×3万円=2.4億円
B 公開(Apache-2.0)ランタイム無料。艦隊管理クラウドと安全認証済み配布版を有料(1台 年6万円)45%20万台の25%=30億円4万台の25%=6億円
C 財団に寄付中立の財団に移し他社も参加60%18万台の15%=16.2億円6万台の15%=5.4億円

CFO は「年3.6億円の売上と、10年かけた知的財産をタダで配るのか」と反対。エンジニアは「公開すると、大手クラウドに管理機能を作られて終わる」と心配している。

問い
  1. 3案の5年目の期待売上を出せ。B が A に負けるのは、標準になる確率と有料化の割合がそれぞれ何%を下回るときか。結論はどちらに敏感か
  2. Teece の3条件(模倣のしにくさ・支配的な設計・補完資産)で、この会社が利益を取れる場所を説明せよ
  3. 公開するならライセンスで何を約束し、何を約束しないか。CFO とエンジニアに別々に何を言うか。採らなかった案と、前提が変わったときの判断を残せ
「オープンソースにするか」はエンジニアの好みで語られがちだが、本来はどこで利益を取るかの戦略判断。David Teece "Profiting from technological innovation"(Research Policy, 1986)は、発明した会社が利益を取れずに模倣者や補完資産の持ち主に取られる理由を、模倣のしにくさ・支配的な設計が決まる前か後か・補完資産の3つで説明した。ソフトウェアは模倣されやすく、利益はランタイムそのものではなく補完資産(艦隊管理・安全認証・導入パートナー網)で取ることになる。もう1つは、公開は戻せない一方向の決定であること。Elastic(2021)、HashiCorp(2023)、Redis(2024)はライセンスを後から変え、OpenSearch・OpenTofu・Valkey という分岐を生んだ。
1. 期待値を出すA 7.44/B 16.8/C 11.88 億円(5年目の売上)2. 逆転点を探す確率 6% 未満有料化 11.1% 未満→有料化に敏感3. Teece の3条件模倣は容易/設計は未確定/補完資産で取る4. 最初に約束Apache-2.0 より狭めない/有料の線を文書で出す5. 相手別に伝えるCFOには逆転点と見直し条件、現場には仕事の移し先罠:今の3.6億円を守ることを基準にする/公開すれば広まると思い込む/ライセンスは後で変えればよいと考える
判断の軸:確率が外れても負けない案か。結論が、自分たちの努力で動かせる前提(有料化の割合)に乗っているか。
模範解答の核心
5年目の期待売上は A 7.44億・B 16.8億・C 11.88億円。B が A に負けるのは、標準になる確率が 6% 未満か、有料化が 11.1% 未満のとき。結論は確率にほとんど敏感でなく、有料化の割合に敏感。大手に管理機能を取られて有料化が半分(12.5%)でも B は8.4億円で A をわずかに上回るが、余裕は小さい。B を選び、Apache-2.0 で「今後ライセンスを狭めない」と最初に宣言し、利益は安全認証済み配布版と艦隊管理で取る。財団(C)は次の手として残す。

① 期待売上と逆転点 導出

案確率期待売上(5年目)A に負ける条件
A 囲う15%0.15×36 + 0.85×2.4 = 7.44億—
B 公開45%0.45×30 + 0.55×6 = 16.8億確率 6% 未満/有料化 11.1% 未満
C 財団60%0.60×16.2 + 0.40×5.4 = 11.88億確率 18.9% 未満/有料化 9.4% 未満
5年目の期待売上(億円)A 囲う7.44B 公開16.8C 財団11.88B(有料化が半分 12.5%)8.4(A との差 約1億)
6%
B が A に負ける標準化の確率(仮定45%から遠い)
11.1%
B が A に負ける有料化の割合(仮定25%の半分以下)
8.4億
有料化が半分になった場合の B

② Teece の3条件で見る

条件この会社意味
模倣のしにくさ弱い。書き直せる。特許は少ないランタイムでは利益を守れない
支配的な設計未確定(大手は12か月後)いまは採用台数が勝負。囲うと伸びない
補完資産安全認証済みの配布版、導入パートナー(国内 SIer 30社)、各メーカーとの接続実績大手クラウドがすぐ持てない。ここで利益を取る

認証を取ったビルドを出せるのは、そのビルドに責任を持つ会社だけ。ソースが公開されても、他社が同じ認証を自動で得るわけではない(個別規格と認証手続きの細部は未確認。認証に時間とコストがかかるという一般的な構造だけを使う)。

③ ライセンスの約束と2者への伝え方

ライセンス長所短所判断
Apache-2.0特許の許諾を含み企業が採用しやすい大手が管理機能を売るのを止められない採用(利益は補完資産で取る前提と整合)
AGPLネットワーク越しの提供にもソース公開を求め、ただ乗りを抑える工場・メーカーの法務がためらい、台数が伸びにくい不採用
BSL競合のクラウド提供を一定期間止めるOSI のオープンソース定義に当たらず信用されにくい不採用
約束すること:ランタイムのライセンスを、今後 Apache-2.0 より狭いものに変えない。約束しないこと:艦隊管理クラウドと認証済み配布版を無料にすること。何が無料で何が有料かを公開と同時に文書で出す。

CFO へ:「囲っても、大手が出れば5年後は8,000台・年2.4億円に縮む見込みです。公開すると今の3.6億円は2年で減りますが、5年目の期待売上は16.8億円で、確率の見積りが6%まで下がらない限り囲う案に負けません。守るべき数字は有料化の割合で、四半期ごとに報告します。2年目末に11%を下回っていたら、財団への移管と事業の見直しを取締役会に出します」

エンジニアへ:「大手に管理機能を作られる心配は正しいです。だから仕事の中心を、ランタイムの機能追加から、安全認証の取得と各メーカーとの接続検証に移します。そこは大手がすぐには真似できません。ライセンスは後から変えないと外に約束するので、コミュニティに出したコードが会社の都合で閉じられることはありません」

移行期の資金:ライセンス売上3.6億円は既存契約の更新に合わせて2年で減ると置く 仮定。営業利益4億円の会社にとって2年間ほぼ利益ゼロになる幅なので、有料版の売上が追いつくまでの月次推移を、約束ではなく見込みとして出す。

採らなかった案(トレードオフ)

  • A 囲う:短期の売上は守れるが、支配的な設計が決まる前に台数を増やせない。確率15%の勝ちに会社を賭けることになる
  • C 財団に寄付:標準になる確率は最も高いが、方向を決める力を失い有料化も下がる(11.88億円)。B から C には後で移れる(逆は戻れない)ので次の手として残す
  • 一部だけ公開(オープンコア):線引きが曖昧だと「肝心な部分は閉じている」と受け取られる。B の中で有料の線を明示する形で取り込んだ

前提が変わったら:大手が自社ロボット専用の閉じた仕組みを出すなら標準争いは起きにくく A の確率が上がる。大手が最初からオープンソースで出すなら B の確率が下がり、他メーカーを束ねる C が有利になる。

実践への応用

  • 社内ツールや SDK の公開判断は「どこで利益を取るか」から。公開するもの(採用を広げる)と売るもの(補完資産)を同じ表に書く
  • ライセンスや料金体系の「後から変える」は一方向の決定。最初の約束の文面を取締役会の議事録に残す
  • 起業では、標準が決まる前の市場で囲い込みを急がない。標準が決まった後は補完資産を持つ側が勝つ
自己評価(解答後に記入)
  • 逆転点を確率と有料化の両方で出し、どちらに敏感かを言えたか
  • Teece の3条件から「利益を取る場所=補完資産」を導けたか
  • ライセンスで約束することと、約束しないことを分けたか
自分の考え・解答メモ:
気づき・メモ:

Q3★★★★★ 応用「参入するなら値下げで潰す」——大手の脅しが信じられるかを参入ゲームで測り、柔道戦略で小さく入り、取締役会・現地パートナー・社内に別々の順で伝える
シナリオ — 建設現場の施工管理 SaaS(国内 ARR 38億円、資金残高52億円) / 創業CEO 石原さん(Lv5 創業者・取締役会)

石原さんはインドネシアへの参入を検討している。現地の最大手(シェア60%、主に中小の建設会社向け)は最近4,000万ドルを調達し、CEO は「外国勢が入ってきたら、価格を半分にしてでも守る」と公言している。最大手はベトナム・タイ・フィリピンにも進出を計画している。3年間の正味現在価値(億円)の見積りは次のとおり。仮定

自社の手最大手の手自社最大手
参入しない—030
全面参入共存822
全面参入値下げで戦う−1210
小さく参入(日系・大手ゼネコンの現場だけ)共存427
小さく参入値下げで戦う−314

取締役会は割れている。投資家 X は「インドネシアより米国に行くべき」、投資家 Y は「全面参入でスピードを取れ」。現地の財閥系企業から合弁の打診もある。国内の社員からは「国内の開発が手薄になる」という声。

問い
  1. 「値下げで潰す」は、1か国だけで見たとき信じられるか。後ろ向き推論で答えよ。他3か国での評判を入れたとき、脅しが本気になる条件を数字で出せ
  2. 全面参入と小さく参入の期待値を、最大手が戦う確率の関数として比べよ。それぞれ何%を超えると参入しない方がよいか。柔道戦略で説明せよ
  3. 取締役会・現地の財閥・国内の社員に、何をどの順で伝えるか。最大手に「中小は狙わない」と伝えたくなったとき、何をしてはいけないか。採らなかった案と前提が変わったときの判断を残せ
競合の発言は、言葉どおりに受け取ると判断を誤る。基本は相手がその手を実際に選んだとき、相手自身が得をするかを確かめること(後ろ向き推論。Dixit & Nalebuff Thinking Strategically, 1991)。1か国だけなら値下げは最大手の損で、脅しは信じにくい。しかし複数の国で戦う立場なら、戦って評判を作ること自体に価値が生まれる(Selten の「チェーンストアの逆説」1978、Kreps & Wilson 1982)。さらに Gelman & Salop(1983)の柔道経済学は、小さく入れば大手が戦うコストが得るものを上回ることを示した。Lv5 は、この構造を取締役会に見せ、自分の一手で相手の損得を変え、関係者ごとに順番を変えて伝える。最後に、競合への「すみ分け」の申し入れはカルテル(市場分割)になり得るので、伝え方の倫理と法の線を引く。
1. 後ろから読む最大手は共存22>戦う10→1国なら脅しは空2. 評判を足すR>12億なら本気R の見積り5.4〜14.4億3. 確率で比べる全面は q>40%で損小さくは q>57%まで損しない4. 柔道で入る戦うと最大手が自分の主力顧客の価格まで下げる5. 順番に開示取締役会→財閥→社員。競合には直接言わない罠:脅しを言葉どおり受けて撤退/「1国の計算なら戦わない」と決めつけて全面参入/競合に「すみ分け」を持ちかける 参入ゲームの木(自社, 最大手)億円。太線=1か国だけで見た最大手の得な手自社参入しない(0, 30)全面参入小さく参入最大手最大手共存(8, 22)戦う(−12, 10)共存(4, 27)戦う(−3, 14)
判断の軸:戦う確率が分からないとき、確率がどの範囲でも大きく負けない手はどれか。自分の一手で相手の損得を変えられるか。
模範解答の核心
1か国だけなら最大手は共存(22)が値下げ(10)より得で、脅しは信じにくい。だが他3か国での評判の価値 R が 12億円 を超えると戦うのが合理的になり、R の見積りは 5.4〜14.4億円 と分岐点をまたぐ。全面参入は戦う確率が 40% を超えると損(20%で+4億、60%で−4億)、小さく参入は 57% まで損にならない(20%で+2.6億、40%で+1.2億)。小さく参入を選ぶ。最大手が値下げで対抗すると自社の中小顧客全体の価格まで下げることになり(戦うコスト13億円)、得るものが小さい。拡大は、最大手が12か月値下げしなかったことを確かめてから。

① 後ろ向き推論と評判の価値 導出

全面参入の後、最大手は共存22か戦う10を選ぶ。22 > 10 なので共存のはず。それを見越すと参入(8)>参入しない(0)。1か国では、実行すると自分が損をする脅し。評判の価値 R = 3か国 × 6億円 × 抑止が効く確率 d 仮定。

抑止が効く確率 d評判の価値 R戦うコスト12億円と比べて
30%5.4億戦わない方が得
50%9.0億戦わない方が得
80%14.4億戦う方が得

4,000万ドルの調達は「戦える資金がある」ことを示すが、「戦うと得をする」ことは示さない。得をするかは、他国の参入者が見ているか(d)で決まる。

② 全面参入と小さく参入 導出

全面参入 = 8 − 20q(q > 40% で損)、小さく参入 = 4 − 7q(q > 57.1% で損)。

最大手が戦う確率 q(横)と自社の期待値(億円、縦)0+8−640%57%q=0q=70%全面参入 8−20q小さく参入 4−7q
戦う確率 q全面参入小さく参入
10%+6.0+3.3
20%+4.0+2.6
40%0.0+1.2
60%−4.0−0.2

柔道戦略:最大手の顧客は中小が中心。日系・大手ゼネコンの現場だけを狙う自社に値下げで対抗するには、最大手は自分の主力顧客の価格まで下げることになる(27 − 14 = 13億円)。小さな相手を叩いても他国への見せしめの効果は小さいので、q 自体も下がりやすい。

③ 誰に・どの順で・何を

  1. 取締役会(全員に同じ資料を同じ日に):最初に表(利得表と q ごとの期待値)。Y の全面参入は q < 40% を前提にしていると示す。結論は小さく参入、12か月で上限6億円(資金残高の約12%)仮定。拡大の条件(12か月値下げなし+日系20現場で継続利用)と撤退の条件(日系案件への値下げ、または継続10現場未満)を同じ資料に。米国案を採らない理由も書く
  2. 現地の財閥(承認後):最初の12か月は合弁でなく販売代理と導入支援の契約。「合弁は資本と経営の約束で戻しにくい。まず20現場を一緒に回してから条件を決めたい」。財閥側の利益(日系ゼネコンとの関係)を先に示す
  3. 国内の社員(翌日、全社):「インドネシアに割くのは開発者5名と12か月6億円まで。国内のロードマップは変えません」と上限を先に言い、撤退条件も出す
最大手に対してしてはいけないこと:「自社は中小を狙わないので値下げはしないでほしい」と直接伝えること。競合間の市場の分け合いはカルテル(市場分割)に当たるおそれがあり、インドネシアの競争法(1999年法律第5号)も市場分割の合意を禁じている(条文番号・解釈は未確認、現地弁護士に確認する前提)。してよいのは、顧客に向けた公開の発信として「日系・大手ゼネコンの現場向け、3言語対応」と製品の狙いを示すことまで。

採らなかった案(トレードオフ)

  • 全面参入(Y):q=10% なら+6億で最大。しかし q > 40% で損、R が分岐点をまたぐ以上 q を低いと言い切る根拠がない
  • 参入しない/米国を先に(X):米国の建設テックには上場企業を含む大手がいて、日系の現場という足場がない。インドネシアには最初の顧客(日系ゼネコンの現地現場)がある。米国は実績を作った後の選択肢として残す
  • 財閥と合弁で全面参入:戦われても耐えられるが、12か月では戻せず決定権も分かれる。実績を作ってからの方が良い条件で交渉できる
  • 最大手の買収・提携:調達直後で評価額が高く、資金残高52億円では現実的でない

前提が変わったら:最大手が他3か国への進出をやめたら R はほぼゼロ、脅しは信じにくい → 全面参入を再検討。最大手が日系案件にまで値下げしてきたら q は高いと分かったので撤退条件に従う。日系の現地案件が20現場に届かないなら、足場が成り立たず参入自体を見送る。

実践への応用

  • 競合の公言(「価格で潰す」「すぐ追随する」)を聞いたら、「実行したら相手は得をするか」を表に書く。言葉ではなく損得で読む
  • 大手と同じ市場に入るときは、大手が対抗すると自分の主力顧客まで傷つく場所から入る
  • 競合に「すみ分け」を持ちかけたくなったら、それはカルテルの入口。自社製品の狙いを公開で示すところまでにとどめる
自己評価(解答後に記入)
  • 後ろ向き推論で「1国なら脅しは空」を示し、評判で本気になる条件を数字で出せたか
  • 確率ごとの期待値で、振れ幅の小さい手を選べたか
  • 競合への直接の申し入れがカルテルになり得ることに気づいたか
自分の考え・解答メモ:
気づき・メモ:

扱わなかった範囲・参照文献

問扱わなかった範囲
Q1価格弾力性の推定(コンジョイント分析など)、割引率、新規獲得率の変化、消費税。顧客資産は「月粗利÷月次解約率」の単純式で解約率一定。値上げ後の解約率1.85%、ライトへの移行6割、共食い30%は仮定
Q25年累計と割引、移行期の詳細な資金繰り、安全規格の個別名と認証手続き、特許の扱い。確率と台数は架空。ライセンス変更3事例は年と分岐名だけを使った
Q3現地の外資規制・個人データ保護法、為替、合弁契約の条件、混合戦略の厳密な均衡。利得は架空。評判の価値は「3か国×6億円×抑止の確率」という単純化
  • Teece, D. J. (1986), "Profiting from technological innovation", Research Policy, 15(6), 285–305(書誌のみ。3条件の要約は記憶による。原文未確認)
  • Dixit, A. & Nalebuff, B. (1991), Thinking Strategically, W. W. Norton(書誌のみ。原文未確認)
  • Selten, R. (1978), "The chain store paradox", Theory and Decision, 9, 127–159(書誌のみ。原文未確認)
  • Kreps, D. & Wilson, R. (1982), "Reputation and imperfect information", Journal of Economic Theory, 27, 253–279(書誌のみ。原文未確認)
  • Gelman, J. & Salop, S. (1983), "Judo economics", Bell Journal of Economics, 14(2), 315–325(書誌のみ。原文未確認)
  • ライセンス変更の事例:Elastic(2021、OpenSearch が分岐)、HashiCorp(2023、Terraform を BSL へ、OpenTofu が分岐)、Redis(2024、Valkey が分岐)。年と名称は記憶による。各社発表文は未確認
  • 民法 第548条の4(定型約款の変更)— 要旨は記憶による。e-Gov での原文確認は今回していない
  • インドネシア 1999年法律第5号(独占的行為及び不公正な事業競争の禁止)— 法律名と年のみ。市場分割の条文番号は未確認
  • 計算は Python 標準ライブラリで 2026-10-10 に実行(Q1 損益分岐と顧客資産、Q2 期待売上と分岐点、Q3 期待値と評判の価値)。入力はすべて架空

今日のまとめ・次回へ

Thinking-B
顧客資産・PFI・参入ゲーム
損益分岐と期待値

3問とも「相手の次の一手」を数字で先に読み、自分の一手で相手の損得を変える形を選んだ。Q1 は顧客の解約をライトという逃げ道で移行に変え、Q2 は大手の参入に対し囲うのをやめて補完資産で利益を取り、Q3 は最大手の値下げを、小さく入ることで最大手自身に損な手に変えた。どれも「最悪の前提でも大きく負けない幅」を基準にした。

次回への接続(明日: 統合 EQ × IQ × Thinking)

今日は損得の表で相手の一手を読んだ。明日は、表のとおりに動かない人——値上げに怒る長年の顧客、公開に反対して辞めると言うエンジニア、脅しを本気で実行してくる競合の創業者——の感情と、それに向き合う自分の感情を、リーダーシップのジレンマとして重ねる。